Uターンを決めたこと。~父の入院で~
どうも、「わらわら雑記」です。
前回のブログにもちょっと書きましたが、私は2017年の4月にUターンして地元に戻ってきました。
今回はその経緯を残そうと思います。
父が入院した。
よくあることと申しましょうか、昨年(2016年)暮れに父が緊急入院しました。
私はSEをやっていましたが、ちょうど新しい現場への初出勤の日でした。
その日は、昼ごろに母からの連絡を受けて、大慌てで荷物を準備し東京駅から新幹線に飛び乗りました。
「3日もたないかもしれない...。」
こんなこと言われて慌てないはずがないでしょ? だって元気だと思ってましたから...。
ダブルパンチ!
とりあえず実家に戻ろうと、家の近くのローカル線の駅まで行ったのはもう暗くなっている時間帯。
真っ暗ななかの無人駅に本当に久しぶりに降り立ち、不安と寒さで心細かったのを覚えています。
そのあと母に車で拾ってもらって、実家に帰りました。
母は病院からの帰りでしたが、父はとにかく入院して落ち着いているから明日でいいだろうとのことでした。
でも、なんと母も体調を崩してたんですよ。風邪で熱が出てた。
こりゃあかん。とにかく夕飯もそこそこに母には寝てもらいました。
病院からの呼び出し
私も早めに寝ようかと思っていた時間、夜10時ごろだったかな...。
病院の看護婦さんから「どなたか、ご家族で付添してくれませんか?」と電話がはいりました。
『完全看護』とはいえ、手におえない場合は呼び出し、あるんですね...。
その時の私は、運転免許は持っていても「ペーのパー」です。しかも夜。道はわからないしで、結局タクシーで行くことにしました。
母には、朝までゆっくりしてもらって、翌日昼ごろ来てもらうことに。
覚悟が要った病院の夜
不安な気持ちのまま病院につき、警備員さんに病棟の場所を聞きます。
初めて来る夜の総合病院は、しんと静まっていました。
看護師さんに父の病室へと案内されると父は起きていました。
起きていましたが、なんだか様子が変です。
認知症気味な言動を繰り返していました。
好きなプロ野球チームの選手を1番から言ってみたり(おとなしく聞きました。)、
父の実家での飲み会がこれからあると言ってみたり、知人の葬式に行くと言ってみたり(いま夜中だから!と説得しました)。
しかも、私が誰だかわかってないみたいでしたし。
点滴やら酸素吸入やらの管を結構すごい力で引っ張ったりもしてましたね。
その日は父が眠る朝の4時近くまで、話を聞いたり病院内を車いすで散歩したりしていました。
このとき、このまま介護が必要になるんじゃないかと、半ば覚悟しました。
この後6日ほどは、母と1日交代で付添をつづけましたが、もう疲労困憊でしたね。
「もう付添は大丈夫でしょう」と病院の先生に言われてほっとしたのを覚えています。
Uターンを決めました。
父は入院して4~5日くらいの記憶がないみたいですが、3週間ほどで退院できました。
認知症の気もなく入院前より元気になっていて、ただただ、うれしかったです。
母から連絡を受けた時の「3日もたないかもしれない」は誤りで、「病院に来るのが、3日遅ければ危なかった」が真相でしたが、この騒動で「今帰らないと後悔する」と思ったのが、Uターンを決めた理由です。両親も80を過ぎてますので。
私はいままで、両親のことや実家に戻ることを考えないようにしていたように思います。「両親は元気、大丈夫」って、先送りにしてました。
でも、もう向き合わないといけなくなってたんです。
自分が身動き取れなくなってからでなくて、本当に良かったと思っています。
Uターンを決めた後のゴタゴタは、また今度。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。